金刀比羅宮大注連縄会 活動状況

令和元年12月22日(日)、今年も金刀比羅宮

への注連縄奉納に行って参りました。

元号が変わり、金刀比羅宮大注連縄会の面々は

気持ちを新たに、気を引き締め日本古来の注連

縄を、気持ちを込めて丹念に作りあげました。

その甲斐あって無時に奉納を終えることができ

ました。

 

毎年、何千何万という参拝者が、七百八十六段

の石段を登りつめ、最初に見上げる金刀比羅宮

正面の大注連縄、その他、本宮三方、書院入口

、緑黛殿の合わせて4本の注連縄を奉納させて

頂きました。

 

今後も、私達の会の思いが続く限り、名誉を胸

に続けて参ります。

 

   金刀比羅宮大注連縄会 会長 植松一夫

      

金刀比羅宮 注連縄奉納 経緯

当注連縄会は、今年(2019)で62年を迎

えます。

香川町浅野在住の四名から始まった注連縄奉納

は、地元の浅野八幡宮神社に始まり、その八幡

宮宮司の推薦が、今日の金刀比羅宮奉納に繋が

っております。

 また、奉納されている注連縄は、日本古来の

注連縄で、宮島(厳島神社)さんと金刀比羅宮

だけに残っている大変貴重な注連縄だそうです

詳細は、以下の経緯をご覧ください。

<金刀比羅宮発行「こと比ら」74(2019年1月1日発行)より、大注連縄奉納六十周年の記事から金刀比羅宮大注連縄 奉納経緯」を転写しています>

昭和二十九年(1954年)の秋、香川町浅野

東赤坂の四名(向井繁太郎、浅井亀次郎、

十河与一、大谷元一)が、隣接する三谷町通

り谷の知人宅で、神社へ奉納する注連縄づく

りに遭遇、作製作業を見ながらいろいろと話

を聞き、感銘を受け帰宅。

後日、皆で、話合いのもと、同年末に長さ四

メートル、太さ十センチの注連縄を浅野八王

子八幡神社に奉納したのが始まりである。

 

翌年には、浅井正雄、藤澤武明が加わり、直

径十五センチの注連縄を八王子神社に奉納

したところ、先代宮司(二宮 実)より「こん

な立派な注連縄が作れるなら金刀比羅宮へ奉納

したら」という事になり、二宮宮司が金刀比

羅宮先代琴陵宮司に打診されたところ、一回

作って奉納してくれとの返答を頂き、昭和三

十二年十二月に浅野八王子八幡神社の氏子、

男女十五名がそれぞれ稲わらを自転車で仏生

山駅に持ち寄り、琴平駅まで電車を利用、作

業所(旧社務所)までは徒歩での搬送でした。

白書院の大広間で全員泊まり込み、御本宮

の注連縄(直径十五センチ、長さ十・五メート

ル、直径六センチ、長さのニ十三メートル)二

本を奉納させて頂き、金刀比羅宮より「これは

いいものだ!続けて欲しい。」とお褒めの言葉

をいただきました。

 

翌年から奉納ヶ所を三ヶ所(本殿・書院入口・

社務所)依頼され、参加者を二十八人に増員

し、白書院の大広間に全員泊まり込み、三日

がかりで作製・奉納致しました。

又、稲わら等資材も増量となりましたが、琴平

電鉄琴平駅大嶋一義駅長(浅野の住民)の計

らいで専用車両一両をあてがって頂き、本当に

有難かったと伝え聞き及んでいます。

(三年間で以後はトラック搬送となる。)

 

昭和三十六年十二月、注連縄作製時の夕食の

とき、先代琴陵宮司が見えられて「先日、京都

大学考古学の教授(氏名不詳)が来て、日本古

来の注連縄と云えるのは金刀比羅宮と宮島さん

だけに残っている貴重なものだ」と聞かされ、

今後も長期にわたって続けてくれるよう依頼さ

れた。

以来、今日まで『金刀比羅宮大注連縄会』とし

て気概を以って継承しております。

最近は、浅野地区を中心に、県内外より五十名

前後の方々に参加を頂いております。

 

「金刀比羅宮に大注連縄を奉納させて頂き」

名誉を胸に、今後も出来る限り続けて参りたい

と考えております。尚、平成十六年の遷座祭に

あたりましても奉納させて頂いております。

 

   金刀比羅宮大注連縄会 会長 植松一夫

 

              2019年吉日

<金刀比羅宮ホームページ

(平成30年年末行事)で活動が紹介されました>


<金刀比羅宮大注連縄 活動ミニ動画>


浅野八王子八幡宮奉納 写真